アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい
トリプルアップ配給協力作品
2020年6月13日(土)より新宿K's cinemaほか全国順次ロードショー!
追悼! そして生誕80周年記念
今年限りの許諾を得て特別公開ドキュメンタリー映画
「アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい」と
カリーナ&ゴダール究極の代表作を上映
1940年9月22日、ナチスドイツ占領下にあったデンマークのコペンハーゲンで、遠洋航路船長の父と19歳の母との間に誕生。すぐに別れた両親に代わり保護してくれた祖母が亡くなり心が一人ぼっちになった4歳の少女。
ロベルト・ロッセリーニ監督の「無防備都市」に衝撃を受け、やがてラジオでアメリカを発見する。ルイ・アームストロングに恋し、チャーリー・チャップリンに魅せられ、ミュージカル映画の虜になって「スター誕生」の歌をすべて暗記する。初めて行ったライヴはカウント・ベイシー楽団。
一番遠くの世界に行きたくて、列車に飛び乗り灰色の故国を脱出したのが17歳。パリのサンジェルマン・デ・プレにたどり着き、彼女は確信した、ここが私の居場所。男物のレインコートに身を包んだ彼女を発見したモデルエージェンシーに導かれて面会した相手が、ココ・シャネル。シャネルは、彼女をアンナ・カリーナと命名した。一躍花形モデルになった彼女を見初めたのがジャン=リュック・ゴダール。「女は女である」「男と女のいる舗道」「気狂いピエロ」・・・時代を画したヌーヴェルバーグのアイコンとなったコンビの誕生と別れ。セルジュ・ゲンスブールは彼女のためにミュージカルを書き14曲を提供、カール・ドライヤー、ジャック・リヴェット、フォルカー・シュレンドルフ、ルキノ・ヴィスコンティなどのヒロインを経てジョージ・キューカーに招かれハリウッドに。
1972年、彼女は自分にリアルなことを表現したいという思いがつのり、自ら製作・脚本・監督・出演をしてNYで映画を撮る。映画界の完全な男社会を飛び出すしか方法がなかった時代。
1997年にはイングマール・ベルイマンの舞台に登場、さらに歌手としての活動を開始、フランスやヨーロッパだけでなく日本でもツアーを行う。
そして今、ハリウッドで出会った本作の監督デニス・ベリーと暮らし、本を執筆し、さらなる冒険を続けている・・・(本作の内容はここまでだが、2019年12月14日、癌のためパリで死去)
アンナ・カリーナ Anna KARINA(1940年9月22日~2019年12月14日)
デンマーク生まれ。17歳の時に出演した短編映画がカンヌ国際映画祭で注目された後、パリに出て雑誌やCFのモデルとして活動。ゴダールが「勝手にしやがれ」のヒロイン役を依頼するが辞退し、再度のオファーとなった「小さな兵隊」に主演。以後「女は女である」、「男と女のいる舗道」、「気狂いピエロ」といったゴダール監督作品によって60年代映画革命ヌーヴェル・ヴァーグの顔となる。その後、ルキノ・ヴィスコンティ監督「異邦人」やジョージ・キューカー監督「アレキサンドリア物語」など、国際派女優として活躍。1972年、「VIVRE ENSEMBLE(共に生きる)」で監督・脚本にも挑む。「アンナ」他で劇中歌も披露し、2000年には初のCDアルバム「恋物語」をリリース。パリや日本でもリサイタルを敢行。ファッションやアートのアイコンとしての影響力も絶大。
挿入映画
「VIVRE ENSEMBLE(共に生きる)」監督:アンナ・カリーナ
「気狂いピエロ」監督:ジャン=リュック・ゴダール
「今夜でなければダメ」監督:ミシェル・ドビル
「女は女である」監督:ジャン=リュック・ゴダール
「アルファヴィル」監督:ジャン=リュック・ゴダール
「修道女」監督:ジャック・リヴェット
「5時から7時までのクレオ」監督:アニエス・ヴァルダ
「男と女のいる舗道」監督:ジャン=リュック・ゴダール
挿入曲
「何も言うな」作曲:セルジュ・ゲンズブール/歌:セルジュ・ゲンズブール&アンナ・カリーナ
STAFF
監督:デニス・ベリー
プロデューサー:シルヴィ―・ブレネ
字幕:芳野まい
配給:オンリー・ハーツ
劇場営業:トリプルアップ
作品提供:ザジフィルムズ(「女は女である」、「男と女のいる舗道」)
2017 / フランス / 52分
© Les Films du Sillage – ARTE France – Ina 2017